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李香蘭は山口淑子、笠置シヅ子との関係やスパイ疑惑とは?

ブギウギ
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李香蘭というと、美しい中国風のメロディが頭の中で鳴り出します。

実は、李香蘭とは、山口淑子という日本女性が

中国、主に満州で活動する際の芸名だったんです。

つまり、李香蘭と日本の女優山口淑子さんと同一人物です。

その不思議な運命を調べてみました。


李香蘭は山口淑子の中国名

李香蘭は、日本、満州、中国で絶大な人気を誇った

美貌の歌手・女優の名前です。

満州でデビューした彼女は、

日本語が堪能な中国人として

芸能界で活躍します。

しかし、その正体は、中国で生まれた日本国籍を持つ日本人。

このことが、彼女の運命を大きく左右することになったのです。

では、李香蘭(山口淑子)さんの簡単なプロフィールを紹介します。

李香蘭・山口淑子のwikiプロフィール

本名:大鷹淑子(おおたかよしこ)

旧姓:山口淑子(やまぐちよしこ)

生年月日:1920年2月12日

没年月日:2014年9月7日(享年94歳)

出生地:中華民国奉天省遼陽県

国籍:日本

wikipedediaより

ここでは、李香蘭さんと呼ばせていただきます。

李香蘭さんは、中国に渡った両親の元、

中国で誕生します。

13歳の頃、肺浸潤という病気を患い、

その治療の一環として歌を習い始めます。

師匠だった、マダム・ポドレソフの紹介で、

満鉄直営のヤマトホテルで務めた前座の歌を注目され、

歌手としてデビューすることになるのです。

高校を卒業した後は、

歌手、女優としての活動を本格的にはじめ、

瞬く間に大人気になりました。

日本映画にも多く出演し、

往年のイケメン俳優として名高い

長谷川一夫さんとも共演しています。

しかし、敗戦を機に日本人として日本へ帰国し、

そこから山口淑子としての生活や活動が始まっていくのです。

敗戦にあたり、死に直面する事もありました。

そのことについては後述します。

李香蘭と服部良一の関係は?

李香蘭さんと服部良一さんとの出会いは、

李香蘭さんが出演した映画「白蘭の歌」(1939年)の

劇中歌「いとしあの星」を服部良一さんが作曲したことにあります。

中国人歌手として名を馳せていた

李香蘭さんに向けて

日本の楽曲とは違うイメージの曲を作り、

これが人気となりました。

その後、映画「支那の夜」の劇中歌も作曲します。

この曲が「蘇州夜曲」です。

今でも、多くの歌手がカバーする名曲、

この曲の作曲者、歌手として二人は

音楽界に話題を投じたのですね。

その後戦争が始まり、日本では思うような音楽活動ができなかった服部良一さんが

上海に渡った時に、李香蘭さんとの公演を企画します。

これが、「夜来香ラプソディー」で、

服部さんにとっても李香蘭にとっても

新たな境地を探る挑戦となったということです。

すでに、女優、歌手として活躍する李香蘭さんに、

服部良一さんが何を見たのかはわかりません。

しかし、今でも歌い継がれる名曲を作ったということは、

音楽を愛する同志という思いがあったのかなと

思ったところでした。

李香蘭と笠置シヅ子との関係は?

李香蘭と笠置シヅ子さんとの間には

何か繋がりはあったのでしょうか?

調べてみましたが、

特にこれ、というものはないようです。

服部良一さんの曲を歌ったことや

戦後は、女優として活動したということは

共通点としてありますが、そのくらいのようです。

李香蘭→山口淑子名で日本の女優として活動、

アメリカの舞台に立ったり、

当時イギリス領だった香港の映画に主演したこともありました。

結婚後は女優を引退し、

ワイドショー「3時のあなた」の司会や

ドキュメンタリーの取材なども務めました。

その後の国会議員への転身ですよ。

かなり派手で目立つ活動が多いですね。

対する笠置シヅ子さんは、

1957年に歌手廃業宣言をして

女優業へと転身します。

とはいえ、華やかな主演女優というよりは、

明るい、元気なおばちゃん役が多かったですね。

同じ時代に芸能界で一世を風靡した二人も、

活躍の場は違いました。

共演も一度もなかったとのことです。

李香蘭はスパイではないが中国で殺されそうになった

李香蘭さんは、中国人として歌手、女優の仕事をしていました。

日本敗戦後は、

中国政府から、「漢奸」として軍事裁判にかけられました。

「漢奸」とは、簡潔にいうと中国を裏切ったスパイ、という意味です。

そのままの判決では、銃殺刑になるだろうと

言われていました。

しかし、本当は日本国籍を持つ

山口淑子という日本人、

そのことを証明できれば、祖国を裏切った罪にはならない、

とのことで、日本からの戸籍謄本が提出され、

国外追放という刑になりました。

重い罪に裁かれたものの、死刑は適用されなかったということになります。

裁判では、無罪ではあったものの、

中国人と偽って日本の映画に出たことは

中国の人にとっては許し難いことと責められます。

そのことは、深く悔いて謝罪もしたそうです。

実は、この頃、もう一人の芳子が存在しました。

男装の霊人と言われた、川島芳子さんです。

川島芳子さんは、清朝の王族の出身でしたが、

日本人と養子縁組をし、日本人として諜報活動を行っていました。

養子縁組の証拠が提出されなかったことから、

「漢奸」として銃殺刑になってしまったのです。

このことは、山口淑子さんにとっても

重い記憶となったそうです。

歴史上、様々な思惑に流されて

命の危機に遭遇した山口淑子さん。

まるでドラマのようですが、

波瀾万丈と言う言葉にも追いつかない過去を

生きてきた方なのだなと思いました。

李香蘭・山口淑子の旦那(夫)は2人?

では、ここからは李香蘭ではなくて

山口淑子さんと呼ばせていただきます。

帰国後、山口淑子として

映画女優に復帰しました。

さらには、渡米してシャーリー山口の名で、

ハリウッド映画やブロードウェイミュージカルにも出演されています。

一人目の夫となる彫刻家イサム・ノグチ氏とは

この頃にニューヨークで出会いました。

そして、結婚し鎌倉に住むことになるのですが、

5年後には離婚してしまいます。

理由は分かりませんが、

結婚してからも映画の仕事がひっきりなしにあったことから、

すれ違いが多かったのかなあと思いました。

二人目の夫とは、離婚の2年後に再婚をしています。

お相手は、日本人外交官の大鷹弘氏です。

大鷹氏は、駐フィジー・スリランカ・ミャンマー特命全権大使をも務めた人で、

山口淑子さんは結婚を機に、

芸能界を引退してしまいました。

2度目の結婚は、

2001年に大鷹氏が亡くなるまで続きました。

お子さんについては、まだよくわからないので

調べたら追記したいと思います。

山口淑子(李香蘭)は、日本では女優、議員として活躍した

山口淑子さんは、

帰国してから日本、アメリカ、香港で

女優として活躍されました。

その後、結婚を機に引退したものの、

10年後にはワイドショー「3時のあなた」の司会として、

芸能界に復帰します。

さらには、1974年に大鷹淑子として

自由民主党から全国区に立候補して、

参議院議員に当選します。

田中派に所属し、3期に渡り議員を務めたのち、

1992年に引退されました。

自由民主党の婦人局長も務め、

女性の社会参画にも貢献したのですね。

2014年に94歳で息を引き取るまで、

山口淑子さんは表舞台で活躍をされていた方なんだなあと

しみじみと思いました。

数奇な運命に翻弄されつつも、

一人の女性として生き切った李香蘭、山口淑子さん。

とても興味深い人生ですし、

もっと詳しく知りたいとも思いました。

読んでくださり、ありがとうございます。

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