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東京ブギウギの作詞家、鈴木アラン勝とは?鈴木大拙との関係は?

ブギウギ
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東京ブギウギ、戦後の代表曲として知られる

軽快なリズムが特徴の歌謡曲です。

歌い手は笠置シヅ子さんですね。

この東京ブギウギの作詞家は誰なのか気になったので調べました。

なんと、すごい方の息子さんなんです!


東京ブギウギの作詞家鈴木アラン勝とは?wikiプロフィール

東京ブギウギの作詞家は、

鈴木アラン勝さんといいます。

ジャーナリストとしての活動のほか、作詞家、翻訳家などとして

活躍されていたそうです。

それでは、鈴木アラン勝さんのプロフィールを紹介します。

鈴木アラン勝のプロフィール

名前:鈴木勝(すずきまさる)/通称アラン

筆名:ビクター・ベルウッド

生年月日:1916年7月7日

没年月日:1971年6月27日

享年:53歳

鈴木勝さんのご両親は、不明です。

お父様がスコットランド人、お母様が日本人という説もあります。

養父母が、鈴木大拙さんと妻のベアトリス・レイン・スズキさんです。

生後1歳くらいの時に引き取り実子のように育てたそうです。

経歴を見ていくと、なかなかに困った性癖があるようです。

中学時代、京都府立京都大さん中学校に在籍し寮生活をしていたそうですが、

素行の悪さに困った父親が、高野山中学校に転校させたということがあったそうです。

その上、そこでも暴力事件を起こして停学、

しかし、父、大拙さんの必死の願いでなんとか踏みとどまり、

同志社大学へ進学。

ハーフだったこともあり、

日本語と英語に長け、

その才能は周知のものだったようです。

大学卒業後は、ジャパンタイムズや同盟通信社で働きます。

特派員として上海に赴任し、

英文雑誌の記者として活動したり、

上海で出会った服部良一氏の紹介で

コロムビアレコードとも関係ができたようです。

そこで、東京ブギウギが生まれるわけですね!

では、東京ブギウギの誕生秘話を紹介します。 

東京ブギウギの作詞は鈴木アラン勝、作曲は服部良一!その誕生秘話とは?

東京ブギウギは、夫に先立たれ母として子を育てていこうとする

笠置シヅ子さんのために服部良一さんが

新たに書き下ろした曲です。

なんでも、新しいサウンドを模索していた服部良一さんが、

レール下の振動をヒントに曲の構想を得て、

カフェ?で紙ナプキンをもらって

そこに一気に書き上げたと言われています。

その曲に対して詩をつけたのが

鈴木アレン勝さんだったということです。

ただし、作詞は簡単には進まなかったようで、

服部さんが手直しをしたり、

勝さんの妻である池真理子さんが詩を書いたりしたと言われています。

それまで、作詞には縁がなかった鈴木勝さんですが、

池真理子さんを通じて音楽にも触れるようになったのかもしれないですね。

東京ブギウギ作詞家鈴木勝の父は鈴木大拙?養父だった?

鈴木勝さんのお父様は鈴木大拙さんと言います。

私は、お父様の名前の方を存じていました。

鈴木大拙さんは、仏教学者で文学博士です。

日本の「禅」について、英語で書籍を書き、

日本の禅文化を海外に広くしろしめた方です。

アメリカ人のベアトリスさんと結婚し、

鈴木勝さんを二人の子として迎えたのです。

ベアトリスさんを69歳の時に亡くしてからは

お一人で生活されたようです。

著作のほか、海外での講演も多く、

精力的に仕事をされていました。

90歳過ぎまで研究に励んでいたことなので、

研究に人生を賭けた方とも言えますね。

腸閉塞のため、95歳でお亡くなりになりますが、

それを看取ったのが秘書の方だったそうです。

妻も、子も先立たれ、家族と呼べる人が秘書の方だったというのは

ちょっと寂しい気もしますね。

東京ブギウギの作詞家鈴木アラン勝は3回結婚し子どもは?

鈴木勝さんは、3回も結婚しています。

お子さんも、二人いらっしゃるようですが、

実は婚外子もいたのではないかと言われています。

そうするとお子さんの数は3〜4人に増えるのだとか、

学生時代、父の鈴木大拙さんが手を焼いていたことは

先にも書きましたが、

結婚生活も驚くほどです。

まずお一人目の奥様が、久保ノブさんです。

大学時代に出会ったノブさん(東京女子大生)と1939年に結婚します。

二人の間にはお嬢さんが生まれるのですが、

他の女性との間に、別の子を儲けてしまいます。

それでも、上海への駐在は一緒に行ったそうですが、

そこで鈴木勝さんは出会った池真理子さんと一緒になってしまったのだとか。

そこで、ノブさんは離婚してお嬢さんと渡米されたのだそうです。

お二人目の奥様の池真理子さんは

ジャズやラテンのナンバーを歌う歌手でした。

お二人の間にはやはりお嬢さんが一人いらっしゃいます。

このお嬢さんは、セラピストをしていらっしゃるそうです。

東京ブギウギ誕生に力を貸したのが、この池真理子さんなんですね。

でも、1951年に晴れて入籍したお二人ですが

その半年後に、

鈴木勝さんは、当時精神科医の奥様であった式場美香子さんと

一緒に住むようになりました。

そのため池さんとは離婚、

式場美香子さんとは1953年に入籍をします。

3回も結婚したけれど

やっぱり3回目も離婚しちゃうのです。

離婚の原因は明らかにされていませんが、

バーの従業員だった未成年の女性に対し、

性的な乱暴をしたことで逮捕されたことが

大きかったではないでしょうか。

なんて男だ、と呆れます、犯罪ですからね。

そこから「昭和最大の不肖息子」という呼び方までされてしまいます。

父の大拙さんは、たまったもんじゃありませんね。

鈴木勝の死因、最後は?

放蕩を尽くした鈴木勝さんですが

その人生にピリオドを打つ日が来ます。

1971年、死因は咽頭癌ということです。

看取ったのは、二人目の妻池真理子さんの娘である

池麻耶さんでした。

最後は、穏やかだったのかもしれませんね。

東京ブギウギという戦後のヒット曲を作詞した鈴木勝さん

波乱万丈というか、私的にはあまり良いとは思えない

エピソードが多々ありました。

ちょっとびっくりしましたね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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