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吉本せいの家系:夫、息子、孫は?朝ドラにもなった吉本興業創設者の生涯

ブギウギ
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吉本せいさん、朝ドラや映画のモデルにも度々登場される

吉本興業の創設者です。

その家族(親、夫、子どもや孫)はどんな方だったのか、

明治から昭和の激動期を生きた生涯とは?に

同じ女性として興味津々です。

そこで吉本せいさんについて、笠置シヅ子さんとの関係も併せて調べました。


吉本せいとは?朝ドラ、映画のモデルにもなった!

吉本せいさんは、

明治から昭和初期にかけての生涯を生きた女性です。

夫と共に吉本興業を創設し、現在まで残るお笑い帝国の礎を築いた方です。

まずはプロフィールを見てみましょう

吉本せいのwikiプロフィール

吉本せい(吉本せい)旧姓は林

生年月日 1889年12月5日

没年月日 1950年3月14日

出身 兵庫県明石市

享年 60歳(死因は肺結核)

配偶者 吉本吉兵衛(通称吉本泰三)

Wikipediaより

吉本せいさんは、太物屋から米穀商へと転じた林家の三女として生まれました。

せいさんが10歳の時、父親の仕事の都合で

大阪に移ってきました。

子供の頃から才気があったようで、

有力者の家に奉公に上がったり

実家の商売を手伝ったりしていたそうです。

実家、林家の家業の関係で知り合ったのが

吉本吉兵衛、せいさんの夫となる男性です。

せいさんは、見初められる形で吉本吉兵衛さんと結婚しました。

後述しますが、

夫の家系は老舗の荒物問屋「箸吉」、

夫は跡取り息子ということで、

まあ嫁いびりもあったようですね。

典型的って言ったら失礼かもしれませんが、

大店の女将さんが嫁を躾けるという名目で

ネチネチいびったというのは想像できますね。

この方は後妻だったようで、

吉兵衛さんとの仲はよろしくなかったことも原因、

さらには吉兵衛さんが芸事にうつつをぬかして

家業をすっぽかしたことも

腹に据えていたのかもしれませんね。

そんなことも影響してか、

「箸吉」は潰れてしまいます。

その後、吉本興業の前進を設立し、

今でいうプロモーターとして活躍を始めるのです。

最初は難儀したものの、

この事業は徐々に育っていき

(途中相当波瀾万丈はありますが省きます)

現在のお笑い帝国、吉本興業ホールディングへと

成長していくことになるのです。

そうそう、せいさんを一躍著名にしたこととして

大阪の通天閣を買ったということもあったんですって。

残念ながら火事で消失しちゃうらしいんですけどね。

せいさんは、

事業を息子の吉本頴右に継がせようとしていたそうですが、

1947年に結核のためお亡くなりになってしまいます。

そのことに絶望されたのでしょうか。

せいさんも同じ結核で、その3年後に

生涯を閉じることになります。

この波瀾万丈な生涯は、

山崎豊子さんの「花のれん」という小説のモデルとなり、

その後多くの映画やドラマで

せいさんの生涯が紹介されることになっていきます。

同名の映画やドラマの他にも、

朝ドラ「心はいつもラムネ色」(1984〜85年)や

「わろてんか」(2017〜2018年)の

モデルとしても描かれています。

2023年の「ブギウギ」では、どのように描かれるのかが注目です。

吉本せいの家系;親や夫の家族との関係は?

吉本せいさんの家系ですが、

まずはご実家から説明します。

ご実家は、兵庫県明石市の下級藩士の家系だそうで、林家と言います。

父親は林豊次郎氏で、商売をしていました。

母親は、林ちよさんと言います。

ご兄弟は、わかっているところでは、

弟に吉本興業を引き継いだ

林正之助さんと林弘高さんがいらっしゃいます。

他にも姉が2人いるはずですが

一般人のためお名前や消息は分かりません。

どうやら、社長業はこの弟やその子供たちが

引き継いで行ったようです。

続いて夫の吉本吉兵衛(泰三)さんの家系です。

吉兵衛さんにはいくつかお名前があって

ちょっと混乱してしまいます。

通称は泰三さんというらしいですが、

生まれた頃の名前は吉次郎さん。

吉兵衛さんというのは、お父様のお名前を受け継いだようです。

ということで、

大阪の箸問屋を営んでいた

吉本吉兵衛さんを父にもち、

母は、吉本ミネさんといいました。

兄が1人いましたが、

吉兵衛さんが生まれる前に亡くなったため

実質的に次男の吉兵衛さんが跡取り息子になったんです。

さらに、お母様がお亡くなりになった後、

お父様が後妻を迎えます。

このかたが吉本ユキさんと言い、

吉兵衛さんや後のせいさんをいびった方です。

連れ子が一人いたとのことなので、

自分の子を優位に育てたかったのかもしれませんね。

せいさんは、夫と共に吉本興業を創設しますが、

この時には、夫の実家には頼っていません。

それは、結果的に夫の実家が廃業に追い込まれたことや

家族との関係がうまくいってなかったことが原因と考えられます。

自分の実家、父や弟の助けを得て

吉本興業を大きくしていくので、

現在も吉本と名乗っているものの

実家の林家の力が強いと見られます。

自身の実家も夫の実家も商売をしていたということから、

せいさん、は商売の達人だったとも考えられますね。

戦前から戦後にかけての混乱期を乗り越え、

今でも帝国として君臨する吉本興業を作ったのは

せいさん、吉兵衛さん、林家の人々の

血と涙と汗の結晶なんだろうなあと感じました。

吉本せいの夫は吉本泰三(吉兵衛)、芸事好きだが凄腕経営者だった?

せいさんは20歳で結婚されましたが、

夫となる吉本吉兵衛(泰三)さんは

相当の芸道楽だったそうです。

大店の跡取りではあったものの

落語や芝居見物に夢中になり家業はそっちのけで

遊んでばかりいたそうです。

剣舞という大衆芸の芸人として

巡業公演に行ってしまうこともあり、

そのせいで、

実家の箸吉が傾いてしまい、最終的に土地を買収されて

廃業に至ったということがあったようです。

ただし、

せいと一緒に始めた寄席の経営には力を入れ、

その後吉本興業という会社へ育て上げます。

この事業を始めた時に、

父から引き継いだ吉兵衛という名前を返上し、

泰造と名乗り始めたという説もあります。

当時、寄席で行われている見せ物は

乞食(失礼な言い方でごめんなさい)がやる仕事とされており、

吉本家がいい顔をしなかったという理由もあったようです。

一般的には、遊び人の夫と見られていたようですが、

なかなかどうして、商魂逞しく、

吉本興業を大きくした成果は泰三さんが

陰で手を尽くしていたというところが事実のようです。

しかし、1924年39歳の若さでお亡くなりになります。

死因は脳溢血、あるいは心臓麻痺と言われています。

ちょうど東京に「神田花月」を開設して

そこから東京進出を狙っていた時のことでした。

跡取りと目された頴右が生まれた翌年でした。

太く短く生きた生涯、

せいさんにとっては辛い出来事だったでしょうね。

吉本せいの子どもは8人?10人?

吉本せいさんは、

夫の吉本泰三さんとの間に8人のお子さんを

出産されています。

しかし、そのうちの4人のお子さんは夭逝しており、

育ったのは4人だけなんだそうです。

しかも、

病気で、2度と子は産めない!

と言われたこともあったそうで、

その後も産み続けたというのは

日本の母だなあと驚きもします。

ちなみに、ご自身は10人産んだとおっしゃっているので、

本当は10人だったのかもしれないですね。

育った4人のお子さんというのが

三女の吉本峯子さん。

このかたは、後年吉本恵津子と名を変え、吉本興業の株主となっています。

四女の吉本幸子さん、六女の吉本邦子さん。

邦子さんは、大阪の有力者である辻阪信治郎氏の息子、

辻阪昌一氏と結婚し、辻阪邦子と名乗ってらっしゃいます。

そして、次男の頴右さん。

この方は、泰典という名もお持ちです。

吉本興業の跡取り息子として期待されたものの、

1947年に24歳の若さで結核にかかり早逝してしまいます。

これもせいさんを絶望に突き落とす出来事だったのではないでしょうか。

なお、頴右さんは、歌手で女優の笠置シヅ子さんと結婚を切望しており、

最初はせいさんも反対していたようです。

しかし、笠置シヅ子さんの妊娠が発覚し、

態度が軟化した中でのことだったそうです。

吉本せいの孫は現在も存命?何人いるの?

吉本せいさんのお孫さんは

あまり表に出ていらっしゃいません。

ですから、何人いらっしゃるのかははっきりしないのです。

その中から2人のお孫さんがいらっしゃることはわかっています。

一人が、笠置シヅ子さんのお嬢さんである亀井エイ子さん。

この方は、頴右さんが亡くなってから生まれたお子さんですが、

頴右さんの願いで「エイ子」という名が付けられたとのことです。

せいさんは、自分の家に引き取りたいという意思があったようですが、

笠置シヅ子さんはそれを断り、

女で一人でエイ子さんを育てました。

もう一人は、吉本圭比子さんという方です。

この方は、どなたのお嬢さんかは判然としていませんが、

お孫さんとしてメディアにおいて

せいさんの思い出話を披露しています。

それによると

楽屋さんで芸人さんに親切に接していたことや

町が火事になると、吉本の提灯を掲げて困っている人におにぎりを配ったことなどを

知ることができました。

女太閤とまで言われた吉本せいさんの

人情味あふれる素顔を語る圭比子さんにとって

せいさんは大好きなおばあさんだったのではないかなと思いました。

吉本せいさん、

今でもご存命だったらどんな方だったのかをぜひ見てみたいです。

小説や、数々のドラマや映画に描かれた

せいさんのドラマティックな生涯にドキドキしました。

読んでくださり、ありがとうございました。

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