服部良一さんは、昭和初期の歌謡界を代表する作曲家です。
その優れた才能は、彼の子や孫たちにも受け継がれています。
そんな服部良一さんを支えた奥さまの存在も気になるところですね。
ジャンルを超えて活躍する服部良一さんの子ども、孫についてそのすごさを紹介します!
服部良一は昭和の大作曲家
服部良一さんは、昭和歌謡界を牽引した
大作曲家です。
今の若い人たちには馴染みがないとは思いますが、
私が子どもの頃は、「懐メロ」でよく
「服部良一特集」というのテレビで放映していました。
まずは、簡単なプロフィールを紹介します。
服部良一(はっとり りょういち)
生年月日 1907年(明治40年)10月1日
没年月日 1993年(平成5年)1月30日
出身地 大阪府大阪市中央区
最終学歴 大阪市立実践商業学校
受章(賞)歴 1969年 紫綬褒章
1978年 勲三等瑞宝章
1993年 国民名誉賞
代表作 「別れのブルース」「蘇州夜曲」「東京ブギウギ」
「青い山脈」 「銀座カンカン娘」など
別名 村雨まさを(作詞家名)
服部良一さんは、1926年に入団した
大阪フィルハーモニックオーケストラで
第二フルートを担当していた時、
その才能を指揮者のマヌエル・メッテル氏に見出されます。
そこから、彼の作曲家人生がスタートしたようです。
1933年には上京してサクソフォン奏者として
ダンスホール「ユニオン」のバンドの一員となります。
そして、1936年にはコロムビア社の専属作曲家へとなっていったのです。
スイングジャズのリズム、旋律を生かした
斬新な作品で、次々のヒット曲を生み出します。
1944年には上海に渡り、ジャズを中心に音楽活動を行います。
第二次世界大戦後は、
ブギのリズムを取り入れた曲を発表し、
戦後の日本を明るく盛り上げていきました。
晩年は、日本作曲家協会や日本レコード大賞の創設など、
日本の歌謡界の基盤を作るために力を尽くしました。
1993年に、呼吸不全により85歳の生涯を閉じました。
私は、服部良一さんの生涯を調べてみて
彼が残したものはとても偉大であったと感じます。
音楽のちからで国民を勇気づけた活躍は
昭和の歴史に刻まれ、これからもその名を語り継いで
いかれるのだろうなあと思いました。
服部良一の妻は万里子
服部良一さんの奥様のお名前は
富澤万里子さんとおっしゃいます。
1930年代にご結婚をされたようです。
ご実家は神田の鍛冶町にある唐物屋だったそうです。
その後浅草でお茶屋を開き、
そこで服部良一さんと出会ったのです。
当時、服部良一さんは、
美ち奴という芸者出身の歌手をプロデュースしていた関係で、
浅草に通っていて、
お茶屋のお嬢さんだった万里子さんを紹介されたのです。
公式サイトに掲載されている写真からは
美しい方だったことがわかります。
私は、服部良一さんのお仕事関係者を
うまくもてなしていたのは、
ご実家が商売をやっていたことにも
関係があるのかなと思いました。
服部良一さんの交友関係の広さからも
奥様の内助の功がうかがえますね。
服部良一の子どもは何人?
服部良一さんと奥様の万里子さんの間には、
お子さんが5人いました。
男の子が2人で、女の子が3人です。
以下に詳しくまとめます。
服部良一の子ども:長男服部克久
服部克久さんは、昭和から平成にかけて活躍された
音楽家です。
活動領域が結構広く、
作曲、編曲のみならず、指揮者も務めていらっしゃいます。
1936年11月1日に東京都で誕生されました。
幼少より、音楽の英才教育を受けたようで、
成蹊高等学校を卒業後は、
パリ国立高等音楽院へ留学もされています。
帰国後、主にテレビ界を舞台に活躍されています。
服部良一さんのような
国民的ヒット曲はありませんが、
耳に馴染みがある「あの曲」というものを
多数作曲されています。
「ザ・ベストテンのテーマ曲」「アニメ:トムソーヤの冒険」「ママと遊ぼうピンポンパン」学校の校歌もあります。
編曲家としては、「サンダーバード」「卒業写真」「昴」などなど。
その他に、多数のコンサートの指揮も務めておられ、
本当に音楽界への影響が大きかったことがうかがえます。
2020年6月に末期腎不全のため、帰らぬ人となりました。
享年は83歳でした。
服部良一の子ども:次男服部吉次
服部良一さんの次男は、舞台俳優の服部吉次さんです。
1944年に東京で誕生しています。
お兄さんの克久さんと同じく
成蹊高等学校を卒業後、
国立音楽学校に入学しますが、
音楽よりもお芝居に興味が湧いていき中退してしまいます。
そして、桐朋学園短期大学演劇学部(現在の桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻)に再入学し、
演劇について学び直します。
卒業後に、演劇集団「演劇センター」に参加し、
舞台俳優としての道を歩き始めます。
1970年に「劇団黒テント」を旗揚げしてから
約50年間演劇活動をされてきたそうです。
旅先に黒いテントを持って移動する
演劇集団、すごく目立ったのだろうなあと思います。
その他にもバンド活動をされているとのことで
服部吉次さんも多彩な方なのだなあと思ったところです。
服部良一の子ども:長女服部初音
服部良一さんの長女の初音さん、
順番で言うと克久さんの次のお子様です。
お子さんが2人いらして、
一人が朋子さんと言うお名前のお嬢さん。
会社を経営していて、
ライターのお仕事をされているようです。
もうお一人が、この後紹介する英司さんです。
初音さんは、良一さんの晩年
ご一緒に住まわれていました。
様々な姿をご覧になっていたのだろうなあと思います。
服部良一の子ども:次女服部梢
次女のお名前は、服部梢さんとおっしゃります。
特に記録がなく、一般の方と思われます。
服部良一の子ども:三女服部早苗
三女のお名前は、服部早苗さんとおっしゃります。
この方も特に記載がないので、
一般の方のようですね。
服部良一の孫もひ孫も有名人!
服部良一さんのには5人のお孫さん、
さらにはひ孫さんもいます。
中には音楽、芸能関係で活躍している
有名な方もいらっしゃいます。
音楽一族と呼べる家系にびっくりしています。
ここでは、
音楽・芸能に関係した方を紹介します。
服部良一の孫:服部隆之
服部隆之さんは、服部良一さんの長男克久さんのお子さんです。
1965年に誕生しています。
隆之さんも、良一さん、克久さんと同じく
成蹊高等学校へ進学します。
正し、高校は2年で中退してしまい、
「パリ国立高等音楽院」へ留学、
音楽をみっちり学んで帰国されてます。
最初は、編曲家のお仕事からスタートしましたが、
徐々に作曲家としての力を認められ、
テレビ番組に関する仕事を多くしておられます。
現在放映中の朝ドラ「ブギウギ」も音楽を担当されています。
代表作品としては、
「HERO」「半沢直樹」「大河ドラマ 真田丸」など
名だたる番組に楽曲を提供されています。
これらの曲は私もよく知っていますし、
ドラマを見るときに曲を聴くだけで
ワクワクしたものでした。
また、日本アカデミー賞の優秀音楽賞を
2回も受賞しています。
現在もバリバリ活躍されている売れっ子作曲家さんです。
奥様はヴァイオリニストの岡本エリさんで、
お二人の間には、
百音さんというお嬢さんがいらっしゃいます。
後ほど紹介しますね。
奥様とは、お父様の克久さんのアルバム演奏をきっかけに
知り合ったそうです。
一流の音楽家同士、響き合うものが
あったのかもしれませんね。
服部良一の孫:服部英司
服部英司さんは、服部良一さんの長女初音さんのお子さんです。
テレビプロデューサーをしているそうです。
表ではなく、裏からテレビを支えるお役目として
活躍されているのですね。
お祖父様、お父様が音楽でテレビを支えたように
お孫さんの英司さんも裏方をしているというところに
共通点があるのだなあと感じました。
服部良一の孫:服部有吉
服部有吉さんは、
服部亮平さんの次男の吉次さんと
その奥様で女優の石井くに子さんの間に
生まれたお子さんです。
1980年に誕生されています。
有吉さんは、振付師でバレエダンサーとして
よく知られている存在です。
6歳の時にクラッシックバレエを始めてから
13歳でドイツに渡り、
名門校「ハンブルクバレエ団」のバレエスクールに留学します。
しかし、身長162cmという小柄な身体が災いして、
卒業後は12のバレエ団のオーディションで
不合格という結果になってしまったそうです。
しかし、バレエへの熱意は強く、
そんな姿をハンブルクバレエ団の芸術監督でもあり
自身も著名なバレエダンサーであったジョン・ノイマイヤー氏に認められ
研修生として入団することができたのです。
言葉のわからない国で容姿と人種により
不合格という言ってみれば差別を受けながら
入団を勝ち取った有吉さん、すごいぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!と
拍手喝采したくなります。
その根性と資質を認められた有吉さん、
その後、ハンブルクバレエ団で
初めての東洋人ソリストとなり、
ヨーロッパでは一躍名が知れ渡るのです。
2006年にはカナダのアルバータ州にある
「アルバータバレエ団」に移籍しプリンシパルと
振付師として力を発揮します。
このバレエ団はカナダでも3本の指に入ると言います。
現在は、バレエ団を退団し、
アルバータ州のカルガリに
「H/W School of Ballet」を創設し、
後進の指導や、各種イベントの演出、振付などで
活躍されています。
カナダでは最も有名な日本人と言われているようです。
私は、お名前を初めて知りましたが、
カナダの方は私以上にご存じなのかもしれないですね。
そうそう、付け足したいことが1つ。
なんと、歌手の宇多田ヒカルさんの
小中学校で1年先輩だったらしいですよ。
服部良一のひ孫:服部百音
服部良一さんのひ孫に当たる服部百音さん、
服部隆之さんとエリさんの間に
1999年に誕生されています。
服部百音さんは、
ヴァイオリンを始めたのは、5歳の時!
8歳の時にはオーケストラと共演し、
10歳でポーランドで開催された
リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールで
第1位と特別賞を受賞しています。
史上最年少での快挙と
まさに天才ヴァイオリストとしての注目を集めました。
11歳からは、ヨーロッパ各地でのリサイタルに出演、
それ以降も演奏の傍ら、
数々のコンクールに出場しては
片っ端から賞に輝き国内外に名声を広めました。
桐朋学園大学ソリストディプロマコースを経て、
乙峰学園大学音楽部大学院に進学します。
まだそんなに若いんですね。
現在も在籍しながら、N響、日フィル、東フィルなど
名だたる楽団に招かれ、演奏活動を続けています。
こういう人のことを天才というのだなあと
しみじみ思いますね。
服部良一の子ども、孫はジャニーズではない!
服部良一さんとジャニー喜多川さんは
昭和の歌謡界で活躍されていたことから
交流はあったようです。
きっかけは、
戦後、服部良一さんが、笠置シヅ子さんらと
アメリカ公演を行った際に
ロスアンジェルス生まれの喜多川氏が
その活動を支援したことにあるようです。
ですから、お子さんお孫さんの中に
ジャニーズに入った人というのはいません。
実は、良一さんの次男の吉次さんが
ジャニー喜多川氏から
子供時代に悲惨な性被害を受けていたことを
明らかにしたことが大きな話題となりました。
この記事では
その件については多く語るつもりはありませんが、
信頼されていた家のお子さんに
そのような行為をしていた喜多川氏に
私もショックを受けました。
現在78歳の吉次さん、
ずっと黙ってきた辛い体験を口に出したことで
注目を浴びていますが、
この事件の被害者支援が進むことと
業界全体の改善が行われることに
役立ってくれたらいいなあと私も思います。
服部良一さん、
お名前は知っていましたが、
ご自身だけではなく、お子さん、お孫さんまで
大活躍されていたことは初めて知りました。
改めて、すごい方だったのだなあと感じ入ってます。
読んでくださり、ありがとうございました。
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