2024年春の朝ドラ「虎に翼」は、
日本初の女性弁護士、判事や家庭裁判所長などを務めた
法曹家三淵嘉子さんをモデルにしたドラマです。
本記事では、
ドラマの人物ではなくてそのモデルになった方達に
焦点を当てて紹介をしていきます。
「虎に翼」人物相関図
三淵嘉子さんのご家族やゆかりの人々を紹介します。
実際に調べてみると、ドラマのために作られたキャラクターや
描かれなかった人物もいました。
ここでは、ドラマで描かれている方のモデルとなった方を
中心に紹介しています。
武藤家:三淵嘉子実家
三淵嘉子さんのご実家は武藤さんと言います。
お父様は銀行家で先進的な考えを持った方でした。
嘉子さんの幼少から多感な時期を過ごした武藤家の人物です。
猪爪寅子:武藤嘉子
三淵嘉子さんの結婚前のお名前、日本初の女性弁護士
猪爪直言:武藤貞雄(1886~1947)
嘉子の父親。香川県丸亀市出身で、丸亀市歯科医議員の武藤直言の養子となる。元の姓は宮武。台湾銀行に勤める
猪爪はる:武藤ノブ(1892〜1947)
嘉子の母。幼い頃に実父宇野伝二郎を亡くし、裕福な伯父の武藤直言夫婦の元で育つ。法律家を目指す嘉子に、嫁の貰い手がなくなると泣きついたとか。
*ご両親についてはこちらに詳しく書いたのでお読みください
猪爪直道:武藤一郎(1916~1944)
嘉子の弟。日立製作所に勤めたが、出征し乗船していた富山丸が沈没したことで戦死。妻子を残している。
猪爪直明:武藤輝彦(1921~2002)
嘉子の弟。東京帝国大学文学部美学科卒業。日本煙火協会理事を務める
実際のご家族
*武藤晟造(1923~?):嘉子の弟。医師
*武藤康夫(1928~?):嘉子の弟。林野庁職員で聞き書きに協力しており、それ(2018年)より後に逝去
佐田優三:和田芳夫(?〜1946)
武藤家の書生。貞雄の丸亀中学時代の親友の甥。のちに嘉子と結婚する
→次の項で詳しく説明します
和田家:嘉子さん初めての家庭
嘉子さんは、1941年に結婚し、初めての家庭を持ちます。
戦争に翻弄されますが、嘉子さんにとって幸せなひとときであったことは
間違いないと思います。
佐田優三:和田芳夫(?〜1946)
武藤家の書生だったが、嘉子に見初められて、1941年に結婚する。明治大学夜間部で学んだのち、東京モスリンに就職。1945年に出征し、病死する
*和田芳夫さんについてはこちらに詳しく書いたのでお読みください
佐田:
実際には娘ではなくて息子
和田芳武(1943〜2021):嘉子と芳夫の一人息子。寄生虫学者になり、嘉子の聞書にも協力している
三淵家:嘉子さん再婚後の家庭
嘉子さんは、1956年に当時判事を務めていた三淵乾太郎さんと再婚します。
先妻の子たちの母にもなり、仕事も忙しい時期、
充実した毎日を過ごせたのも家族あってだったのかもしれないですね。
星航一:三淵乾太郎(1906~1985)
嘉子さんが再婚した夫。判事で浦和地方裁判所長などを務める。先妻との間に4人の子がいる。
星・・:三淵忠彦(1880~1950)
夫乾太郎の父。日本初の最高裁判所長官。67歳5ヶ月での就任は最高齢での就任記録である。後妻の影響でキリスト教の洗礼を受ける
三淵乾太郎の連れ子たち
那珂:長女
奈都:次女
麻都:三女
力:長男
*三淵嘉子さんのお子さん(実子・連れ子)についてはこちらに詳しく書いてありますのでお読みください
明治大学の師や学友
明治大学では、嘉子さんは法律を学び、初の司法試験へと挑戦します。
そこで、人生を変えた恩師や仲間たちを紹介します。
穂高重親:穂積重遠(1883~1951)
法学者、最高裁判所判事を務め、日本家族法の父と言われる。明治大学女子部を創設し、嘉子らを指導する
桂場等一郎:石田和外(1903~1979)
第5代最高裁判所長官を務める。剣道家としても活動する
山田よね:久米愛(1911~1976)
旧姓は保原、嘉子さんの学友で、共に日本初の女性弁護士となった一人
中山千春:中田正子(1910〜2002)
旧姓は田中、嘉子さんの学友で、共に日本初の女性弁護士となった一人
まだまだたくさんの登場人物が現れる「虎に翼」です。
今後も、モデルとなった方達を探して
こちらに追記していきますね。
楽しみにお読みくださいね。
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