穂積重遠(ほづみしげとお)先生は、連続テレビ小説「虎に翼」の穂高重親先生のモデルになった方です。
日本家族方の父とも言われる、高名な法学者で、
あの渋沢栄一さんの初孫でもあります。
その穂積重遠さんの妻や子孫の現在、天才ぶりを紹介します。
穂積重遠、法学者で最高裁判事のwikiプロフィール
初めに、簡単にプロフィールをまとめます
穂積重遠(ほづみしげとお)
生年月日 1883(明治16)年4月11日
没年月日 1951(昭和26)年7月29日
享年 69歳
出身校 東京帝国大学法学部卒業
主な家族 祖父:渋沢栄一
父:穂積陳重(枢密院議長)、母:歌子
弟:穂積真六郎(参議院議員)、義父:児玉源太郎(文部大臣)
略歴
1901年 高等師範学校附属小・中学校卒業
1904年 旧制第一高等学校卒業
1908年 東京帝国大学法学部卒業
1916年 欧米留学後東大教授に就任
1917年 法学博士となる
1937年 帝国学士院会長
1944年 貴族院議員
1945年 東宮大夫兼東宮侍従長
1949年 最高裁判事就任
1951年 逝去
ウィキペディア
こうやって改めてプロフィールを拝見すると
なんともきらびやかな経歴の持ち主ですね。
そして、女性法律家の育成に力を入れたことも有名です。
1929年から明治大学女子部の創設に関わり、
開校式では教師代表として挨拶も行い、
法律を学ぶ女性たちへ期待溢れる言葉を送っています。
さらに、民法の講師も担当していました。
現場に立ち、女性法律家への教育に力を注いだのですね。
穂積重遠さんがいなかったら、
女性弁護士や検事、裁判官が活躍するのは
もっと後の時代になっていたかもしれません。
さらに、
女性運動への支援にも熱心だったということで
平塚らいてうさん、市川房枝さん、高群逸枝さんとも
交流があったそうです。
後述しますが、広い視野で世界を見てきた
あの渋沢栄一さんの影響を受けたことが
穂積重遠先生の活動に現れているように思います。
まだまだ、女性蔑視が主流だった時代に
こんな地位の高い方が女性を応援してくれていたとは、
本当にありがたく、神のようにも思えました。
穂積重遠の妻は誰?
穂積重遠さんは、1909年に結婚されています。
奥さんは、軍人だった児玉源太郎さんの三女のナカさんです。
ナカさんも、なかなかの活動家だったそうで
結婚生活の様子を日記に残したそうですよ。
それによると、
穂積重遠さんは子煩悩で、
毎年家族写真を撮影していたんですって。
お酒もタバコも手を出さなかったらしいですが、
酒宴には賑やかに加わっていたというところから、
とても社交的な方だったんだなって思いました。
ただ、ナカさんについては
それ以上の詳しい資料は見つかりませんでした。
また、調べてわかったことは追記していきます。
穂積重遠の子孫の現在は?
穂積重遠さんとナカさんの間には
一男一女が誕生しています。
長男は、のちに大東文化大学の学長を務めた
穂積重行さんです。
東京帝国大学で西洋史を専攻された西洋史学者で、
著書に「産業革命」(1961年至文堂世界史新書)や
「歴史の盲点」(1991年時事通信社)などがあります。
大東文化大の学長を務めた後は、
名誉教授として名を残されています。
奥様は、電子工学者の浅尾荘一郎さんの長女さんということです。
2014年に逝去されており、
そのお子さんのことまではわかりませんでした。
長女の美代子さんは国文学者で結婚されて岩佐美代子さんとして
お名前が知られています。
何度、幼い頃に昭和天皇の第一皇女照宮成子内親王に
宮仕えをされたのですって。
その後学習院高等科に入学し、
学友として親しくもされていたそうです。
日本文学の中でも北朝系の天皇や歌人たちの和歌を研究対象とされていて
著書には「京極派歌人の研究」(1974年笠間書院)や「岩佐美代子の目古典はこんなにおもしろい」(2010年笠間書院)など
多数ありました。
文学博士で鶴見大学名誉教授でもあられます。
医師である岩佐潔と結婚し、
お子さんは二人いるとのことですが
そのお名前は明らかにされていません。
お子さんが二人とも研究の道に進んだということから
穂積重遠さんが、いかに教育を大切に考えていたかも
うかがえますね。
そして、それは、祖父である渋沢栄一さんの
影響も大きかったのではないかと思うところです。
穂積重遠は渋沢栄一の孫、論語にも秀でた天才
穂積重遠さんのお母様が、歌子さんといい、
渋沢栄一さんと千代さんの間のお子さんです。
渋沢栄一さんにとっては外孫ながら
初孫ということでとても可愛がられたようです。
特に、社会事業やフランス、そして論語への関心を
強く受け継がれたそうなのです。
渋沢栄一さんは、フランスの経済社会にふれ、
会社という概念を日本に持ち込んだ方でしたね。
そんな話を、幼い頃に重遠さんも聞いていたのではないでしょうか?
加えて、「論語と算盤」は渋沢栄一さんの
代表作とも言われる著書です。
重遠さん自身も論語を研究し、
「新訳 論語」(1947年社会教育協会)から
出版されています。
また、ご家庭でも論語を読むことが
習慣になっていたともいうことです。
幼い頃に関心を持ったことは
一生をかけた仕事や趣味にもつながるのだなあと
しみじみと思いました。
偉大な祖父の影響から
穂積重遠さんの生き方が作られていったのかもしれないですね。
穂積重遠のお墓はどこ?
穂積重遠さんは、1951年に病のためお亡くなりになります。
当時、最高裁判所判事でもありました。
享年は69歳ですから、早い死と言えますね。
まだまだ、日本の法律のため女性の社会進出のため
力を必要とされていたと思うので
この早すぎる死が本当に残念です。
現在、お墓は谷中霊園にあるとのことです。
著名人が多く眠るこの地で
穂積重遠さんは今の時代をどう見ていらっしゃるのでしょうか。
読んでくださり、ありがとうございました。
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