PR

安倍晴明の母は狐?陰陽師としての能力や藤原道長との関係、現在の子孫は?

光る君へ
記事内に広告が含まれています。

安倍晴明は、日本の歴史上もっとも有名な陰陽師です。

あべのせいめい、あべのはるあきらとも呼ばれていますね。

安倍晴明は、身分的には下級貴族でしたが、占いや祈祷などの道に精通しており、不思議な逸話が多く伝わる人物です。

近年では映画や漫画でも取り上げられており、

かなり知名度のある人物となりました。

一体どのような人物だったのでしょうか?

ちなみに私は野村萬斎さんの安倍晴明が一番好きです笑


安倍晴明の父、母は?狐の子という噂は本当か?

安倍晴明のはっきりした出自は詳しく判明していません。

父は安倍益材(あべのますき)だとされていますが、

母の名前は不明です。

室町時代に作られた安倍晴明の誕生説話によると、

母の名を「葛の葉」と言い、その正体は狐だったとされています。

その言い伝えをわかりやすく以下に解説します。

というものです。

しかしこの言い伝えは、被差別民階級の一つである

声聞師(民間下級陰陽師)たちが生みだしたものだと考えられています。

彼らは安倍晴明の知名度を利用して、

自分たちの生業の信用度を上げるための手段にしていたと思われます。

真実かどうかわかりませんが、

このストーリーがとても魅力的で、安倍晴明を神秘的な人物として

描かれるようになったことは間違いないですね。

とはいえ、陰陽師として歴史の残る活躍をした安倍晴明。

後年になって、その名声を利用され説話が創作されるとは、本人も予測できなかった事でしょうね。

安倍晴明は陰陽師、どんな能力があったのか

陰陽師(おんみょうじ)とは、古代日本の律令制下において、

中務省の陰陽寮に属した官職の1つです。

官職というのは、宮廷のまつりごとに関わる職のことですね。

その仕事内容は、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって

占いなどをつかさどる技術職でした。

晴明は幼少の頃にすでに陰陽師であった賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学んだとされています。

977年、晴明は保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現しはじめます。

979年、59歳になった晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で

那智山の天狗を封じこめる儀式を行います。

このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、

記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになります。

花山天皇退位後は、一条天皇の信頼を得るようになりました。

藤原実資が書いた『小右記』によると、

993年2月、一条天皇が急な病に伏せった折、

晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復したそうです。

遅咲きながらも、不思議な力で代々の天皇の信任を獲得していった晴明。

その職務は、現代に例えると、

専門的なコンサルティングを行う特別職の国家公務員と言ったところでしょうか。

科学では解明できないことを占いや祈祷で解決するお役があれば

今の政治も変わっているかもしれない、、って思いました。

安倍晴明と藤原道長の関係は?

安倍晴明は921年の生まれであり、

966年に生まれた藤原道長よりも45歳も年上です。

しかし生まれた家の家柄や朝廷における立場は道長の方がはるかに上でした。

両者にどの程度接点があったのかは不明ですが、

道長が晴明に職務を命じた記録が残っています。

道長が書いた『御堂関白記』によると、

1004年7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの祭礼を執り行わせたところ、

雨が降り、一条天皇が晴明の力によるものと認め褒美を与えたことなどが記されています。

年齢がはるかに離れており、身分も立場も一定の距離があった晴明と道長。

しかし記録上は、このことから、両者の関係性はおおむね良好で、

安定した仕事上の付き合いがあったと考えられますね。

もしかしたら、藤原道長が権力をその手に握るためのお手伝いも

陰でこっそりしていたなんてこともあったかもしれないですね。

そういうことも想像するとワクワクしてきます!

安倍晴明の子孫は現在も残っている?

安倍晴明の子孫とされる家柄としては、安倍氏嫡流で、

途中から名前を変えた土御門家と、江戸時代にそこから分家した倉橋家があります。

明治以降は両家共に子爵の位を授けられ、子孫がいまも残っています。

しかし、両家に関しては、ともに18世紀に男系の血脈が途絶え、

他家から養子をもらう事で辛うじて女系の子孫を残しています。

その後の両家はさらに更に養子相続を繰り返した結果、

戦国時代の安倍氏当主土御門有脩から数えて共に4回の女系を経ることで存続しています。

一方で、幾つかの公家・華族の子孫、また現皇室にも、女系を経て安倍晴明の血脈が受け継がれています。

男系の系統は途絶えてしまったものの、晴明の子孫は大いに繁栄し、

なんと皇室にまでその血が入っていたとは、驚きです。

現代でも末裔としてお名前が残っている方として

土御門神道本庁の宮司を務めている藤田義仁さんがいらっしゃいます。

ただし、藤田さんもご高齢で跡を継ぐ人がいないと

頭を悩ませられているとのこと・・・。

今後、安倍晴明の血は受け継がれるかもしれませんが

その技術は廃れてしまうかもしれません。

日本の歴史の中で今でもその名前や職の一部が受け継がれている人物は

そうそういませんよね。

類稀なる人物なのだなあとそれだけでも思えます。

引き続き私は、物語の中の安倍晴明を楽しもうって思いました。

お読みくださりありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました