平安時代は今から1200年ほど前に始まり、約390年間も続いた時代です。
この時代は、貴族が中心となり、
政治を進めたり、文化を作ったりしていました。
とほうもない年月をさかのぼるため、
その時代について正しいことを知ることが難しいですが、
現存している資料から調べたことをお伝えしていきます。
この記事では、平安時代の人々が、どのような服装をしていたのかを
身分と性別ごとにまとめてお伝えしますね。
平安時代の女性貴族の服装は?十二単はいつ着るの?
平安時代は日本の歴史の中でも特に華やかな時代と言われています。
その中でも、女性貴族の服装は、
中国の唐の影響を受け、袖や裾が長く広いものが流行しました。
平安文化は、日本独特の文化が栄えたと思っていたのですが、
唐からの影響が大きいのですね。
とても興味深いと思います。
貴族の服装は、色や柄によって
身分や季節を表すという厳しい決まりがあったようです。
特に女性貴族は、重ね着をすることで色合わせや配色を工夫しました。
この重ね着をする服装を「裳着(もそぎ)」と呼びます。
裳着の中でも最も有名なものが「十二単(じゅうにひとえ)」。
十二単とは、12枚の単衣(ひとえ)という薄い着物を重ねて着ることなんですよ。
十二単は、平安時代後期に流行した服装で、
貴族の女性が正式な場で着るものでした。
十二単は、色や柄によって季節や行事に合わせて変えることができます。
十二単を着るときは、一番下から順に
・白小袖
・赤小袖
・青小袖
・緑小袖
・黃小袖
・紫小袖
・紅小袖
・藤小袖
・水色小袖
・桃小袖
・橙小袖
・紺小袖
という順番で重ねます。
これは基本的な順番で、
実際には色や柄を自由に組み合わせることができたのです。
私は、この色の名前を見ただけで、
日本人の色彩への繊細なセンスがうかがえると興奮しています。
特に、赤と紅、紫と藤のように
同系と思える色を別の色として名前をつけ、
それを重ねるセンスにしびれちゃいます。
一歩間違ったら
すごいダサくなりそうな色合わせを
上品に美しく重ねる感性を私たちのご先祖は持っていたのですね。
この十二単を着るときは、
一番上の紺小袖だけを少し短くし、
下の色が見えるようにします。
この着こなしを、「露襟(ろえり)と呼び、十二単の美しさを表す重要な要素なのだそうです。
うわあ、想像するだけでゾクゾクします。
平安時代の女性貴族の十二単は、
日本古来の美意識と洗練されたファッションの象徴だと感じます。
その豊かな色彩と複雑な着こなしが、
当時の女性たちの繊細な美的センスをはっきりとに表していたと考えられますね。
露襟の美しさは、色の重なり合いによって生まれる独特の風情があり、
日本文化の中でも特に繊細かつ独創的な表現といえます。
他には代えがたいオリジナリティを感じますね。
この時代の服装は、ただの衣類を超え、
身に着ける人の地位や心情、季節感までも表現していたのです。
現代においても、
その豪華さと洗練されたデザインは、
日本の伝統美として、多くの人々に感銘を与え続けていくことでしょう。
平安時代の男性貴族の服装は?
平安時代の男性貴族の服装は、
基本的には「直衣(ひたぎ)」と呼ばれる上着と
「袴(はかま)」と呼ばれるズボンからなっていました。
直衣は肩から垂れるそでが特徴で、
色や柄によって季節や場面に合わせて変えることができます。
袴は足首までおおう長いものと、膝下までの短いものがありました。
長い袴は正式な場や冬場に、短い袴は日常や夏場に着用したようです。
結構、便利に作られているのですね。
直衣と袴の組み合わせは、
平安時代の男性貴族の基本的な服装でしたが、
それだけではありません。
重要な儀式や行事に参加するときは、
直衣の上に「狩衣(かりぎぬ)」と呼ばれる外套を羽織っていったのです。
狩衣は直衣よりも大きくて長く、背中に紋章を入れていました。
狩衣は元々は狩りや旅行などに着用される防寒着でしたが、
後には格式高い服装として扱われるようになりました。
また、平安時代の男性貴族は
頭に「冠(かんむり)」をかぶっていました。
なぜなら、冠は権力や地位を示す重要なアクセサリーであったのです。
現代の子どもたちは、いたずらで
人の帽子を取り合うことをしますね。
実は平安貴族にとって、
被り物を取られるということは
下着を脱がされる(失礼)ことと同じくらいの
はずかしめを受けることだったそうなんです。
もし、近くに平安貴族がいても(いるわけないけど)、
決して被り物を取ってはいけませんね。
さて、この冠には様々な種類があります。
代表的なものに「平冠(ひらかむり)」と「物部冠(ものべかむり)」があります。
平冠は四角い形をした冠で、皇族や摂関家など最高位の貴族がかぶったものです。
物部冠は前後に尖った形をした冠で、公卿や大臣など高位の貴族がかぶっていました。
平安時代の男性貴族の服装の豊かさと洗練さは、
今日の私たちにはとても驚異的です。
彼らの服装は、当時の文化や美の価値観を深く反映していたのではないでしょうか。
特に、狩衣の豪華な装飾や直衣の繊細な色使いは、
当時の貴族が自らの地位や美意識をいかに大切にしていたかを物語っています。
男性であれ、身支度には最大限の気配りをしていたのですね。
優美ですよねー、実際にお会いしてそのお姿を拝見したいものですね。
平安時代の女性庶民の服装は?
平安時代は貴族文化が華やかに発展した時代といわれますが、
庶民の生活はどうだったのでしょうか。
貴族の女性は十二単や狩衣など、
重ね着や色彩が美しい衣装を着ていましたね。
でも、庶民の女性はそのような贅沢なものは着ることはできませんでした。
一般的な庶民の女性の服装は、
麻や木綿などの素朴な素材で作られた直垂(すぐたれ)という袖無しの上着と、
裳(も)というスカート状の下着です。
直垂は胸から腰までをおおうように着用し、
裳は腰から足首までをおおいます。
色は白や茶など地味なものが多く、
染める場合も植物や土など自然にあるもので染めていたのです。
貴族の服装の色には、身分などが反映されるということなので、
庶民は色を使うことは、良しとされなかったかもしれないですね。
また、冬は羽織や襦袢(じゅばん)などを重ね着し寒さをしのぎました。
庶民の女性は家事や農作業などで忙しく、
動きやすく汚れにくい服装が必要だったのです。
そのため、直垂や裳はゆったりとした作りで、裾や袖が長くないものが好まれました。
ここは、貴族の服装とも大きく違いますね。
超実用的!ってことなんですね。
また、髪型も貴族の女性のように長く伸ばして結ったり飾ったりすることはありません。
髪は肩や背中くらいまで切っておくか、束ねておくのが一般的だったようです。
髪飾りも貴族のように簪(かんざし)や冠(かんむり)などを使わず、
布や紐などで飾っていたようです。
平安時代の庶民の女性たちの日常着は、
貴族の華やかな衣装とは対照的に、
実用性と簡素さに重点を置いていたことを興味深く感じられますね。
生活の厳しさと労働の必要性が、
彼女たちの服装や髪型に反映されていたことから、
当時の庶民の生活の現実を感じることができます。
また、布や紐で作られた簡素な髪飾りは、庶民の女性たちが自分らしさを表現するための
控えめな方法であったのではないかと想像できますね。
限られた材料をどう活かすか、そこに庶民女性のオシャレの工夫があったのかなって思いました。
平安時代の男性庶民の服装は?
平安時代の男性庶民は、主に上着と下着からなる二枚着を着ていました。
上着は袖が短く、下着は袖が長く、
色は白や灰色など地味なものが一般的でした。
上着と下着は前で結んで留めるか、帯や紐で締めることで着用していました。
また、冬には羽織や毛皮を重ねて暖をとり、
下半身は、ズボンや褌(ふんどし)を履いていたのです。
ズボンは膝下までのものや足首までのものがありました。
ここは、貴族と似ていますね。
季節や用途によって、着替えていたと考えられますね。
褌は布を股間に巻いて固定して着用していました。
日本独特の下着、褌は、こんな昔から使われていたのか、、と驚くばかりです。
ズボンや褌は動きやすさや清潔さを考慮していたようですね。
足元には草履やわらじを履いていたようです。
このように、平安時代の男性庶民の服装は、
貴族と比べて質素で機能的なものでした。
しかし、それでも彼らなりに流行や趣味を楽しんでいたことが、
古文書や絵画などからわかります。
例えば、上着に刺繍を施したり、
色や柄を変えることで、自分の個性を表現していました。
男性庶民も意外にオシャレだったのですね。
平安時代の男性庶民の服装は、当時の生活と文化の側面を浮き彫りにしています。
質素でありながら機能的な彼らの服装は、
厳しい生活環境に適応し、日々の労働に耐えうるものでなければなりません。
それでも、上着に刺繍をほどこしたり、
色や柄を変えることによって、
彼らもまた自らの個性や美意識を表現しようとしていたのです。
調べていったらますます、平安時代の服装に興味が湧きませんか?
私は、とても興味津々です。
博物館などに見に行こうと思っています。
平安時代の人々の服装からは、どんな社会階層にも、
自己表現の欲求が根底にあることを表しています。
貴族の派手な服装が注目されがちな平安時代においても、
庶民の服装に見られる独自性や工夫は、
彼らの生活の中にも文化や美が息づいていた証拠と言えるでしょう。
平安時代、日本の服装は華やかな変化を遂げましたが、
貴族と庶民の間で見られる服装の違いを知ることで、
当時の社会構造と文化をイメージすることができますね。
読んでくださり、ありがとうございました。
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