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散楽とは?意味や由来、散楽戸の役割、猿楽との違いや共通点も!

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散楽(さんがく)という言葉を聞いたことがありますか?

大河ドラマ「光る君へ」で直秀ら散楽一座が広場で庶民に披露している姿を見て、

ご存知の方もいるかもしれません。

それは、日本で楽しまれた一種のエンターテイメントです。

現在まで継承されている伝統芸能にもその影響が見られるものです。

散楽がどうやって始まったのか、その由来は?

さらに、この芸術形式はどのようにして猿楽や田楽といった他の伝統芸術へと繋がっていくのでしょうか?

この記事では、散楽について、わかりやすく解説していきます。


散楽の意味と由来は?

散楽とは、奈良時代に中国から伝わった、日本古典芸能の一つです。

音楽、舞踊、曲芸といった多彩なエンターテインメントを含むこの総合芸術は、

貴族たちの間で非常に人気がありました。

では、この「散楽」という言葉の意味や由来は何でしょうか?

「散楽」とは、元々はチベット語の「サンロー」に由来し、

「新しい遊戯」という意味を持ちます。

その起源は、古代ギリシャやローマ、さらにはアジア西域の文化が長い年月を経て中国に伝わり、

そこから発展したものとされています。

日本における散楽の伝来は、

奈良時代の735年に唐の軽業芸が聖武天皇によって

初めて見せられたことが記録されています。

実際にはそれよりも早い時期に伝わっていた可能性もあります。

当時の日本では、この新奇な芸術形式が非常に斬新で、

最先端の文化として受け入れられました。

散楽は、「雅楽」とは対照的に、

宮廷芸能としてだけでなく、民間の芸能としても楽しまれていたことが特徴です。

そのため、701年には雅楽尞(うたまいのつかさ)とともに、

散楽の芸人を養成するための「散楽戸(さんがくこ)」も設置されました。

しかし、その内容が庶民的であるが故に、

式楽には向かないと判断され、782年には桓武天皇の時代に廃止されてしまいます。

それでも散楽は、その後も民間で広く愛され続け、

平安京の街頭などで演じられることで、庶民の間にも広がりました。

そして、時代が下るにつれて、さらに発展し、猿楽や田楽など、

日本固有の伝統芸能へと昇華されていくのです。

散楽の魅力は、その多様性にあり、

貴族から庶民まで、幅広い層の人々に愛された日本の伝統芸能の原点とも言えます。

散楽戸とは?どんな役割があった?

散楽戸(さんがくこ)、先の章で述べましたが、

これは、古代日本で散楽を演じるアーティストたちが所属していた組織、

または彼らが活動する場所を意味します。

ちょうど、今でいう「芸術家のコミュニティ」や「演劇学校」のようなものですね。

701年、大宝律令の制定とともに、外来の雅楽や舞楽と同じく、

散楽の芸人を養成し、伝統芸能を維持するための場として散楽戸を設立します。

そんな古い時代から、芸人養成所があったなんて驚きですね!

では、散楽戸の役割とは一体何だったのでしょうか?

それは、宮廷や貴族の家で開かれる式典や宴会で、音楽や舞踊を披露することでした。

これにより、彼らは平安時代の華やかな宮廷文化を支え、また豊かな芸術性を広める役割を担っていたのです。

しかし、桓武天皇の時代に廃止された後、散楽は宮中から民間へと移り、

より自由な形で発展していくことになります。

この散楽戸の存在は、日本における芸術やエンターテインメントの価値が

いかに古くから価値があるものと見られていたかを示しています。

コロナが蔓延した2020年〜2022年は、さまざまなエンタメが

「不要不急」ではないと活動を規制されました。

でも、不要ではないと思う人は多数おり、オンライン上でそれらの表現が

活発にされたことも本質ではエンタメを必要とされる方が多いことがわかりましたね。

また、散楽戸に所属していたアーティストたちの技術や芸術性が、

後の猿楽や田楽、さらには能や狂言といった日本独自の伝統芸能の発展に

どのように影響を与えたかを知ることは、非常に興味深いポイントです。

現代では、国立の伝統芸能の研修所から、

第一線で活躍する演者たちが見られることからも

散楽戸のような場が時代を超え、芸術や文化に対する認識を深めてくれることがわかります。

散楽から猿楽へ進化?その違いと共通点とは?

散楽から猿楽(さるがく)への移行は、

日本の伝統芸能の進化を示す興味深い過程です。

散楽から猿楽への変化を簡単に説明すると、

散楽は、中国から来たいろんなエンターテインメントが混ざったもの。

音楽やダンスだけじゃなく、いろんなパフォーマンスがあったんです。

中には曲芸混じりのものもあったようですね。

それが、平安時代を経て、猿楽に進化していきます。

猿楽は、能や狂言という、日本独特の芸術に発展していったのです。

散楽と猿楽の共通点は、どちらも音楽とダンスを楽しむ娯楽であったということにあります。

特に、貴族たちの間で人気があり、物語を伝えるのにも使われました。

また両者には違いもあります。

猿楽は物語をもっとはっきりと演じるようになったことです。

散楽よりも、劇的な要素が強くなり、そこから能や狂言のような日本の演劇へとつながっていったのです。

猿楽では、仮面をかぶったり特別な衣装を着たりと、

演じる物語やキャラクターをより魅力的に見せたのですね。

貴族たちの屋敷で上演されるものとして

面白おかしさよりも、洗練された表現、様式が好まれていったのではないかと

私は考えました。

誰が見るか、という点から芸能が進化していったのではとも思いました。

そのような点からも、散楽から猿楽への発展は、日本の伝統的な演劇がどのように成長していったかの一例を知ることができます。

猿楽は、貴族たちの好みに合わせ、物語をより深く、劇的に伝える方法へと変わっていったのですね。

散楽と田楽の違いと共通点はどのようなものがあったの?

散楽と田楽、まず、共通点として、散楽も田楽も日本の伝統的な芸能形式であり、

音楽や舞踊を中心としたエンターテインメントであることが挙げられます。

どちらも物語を伝えたり、観客を楽しませる手段として使われてきました。

散楽は、中国から伝来した芸能。宮廷や貴族の間で楽しまれ、多様なパフォーマンスが特徴です。

一方、田楽は日本独自の発展を遂げたもの。

もともとは農村部での祭事や祈願行事として収穫を祝う農業祭祀として始まり、

やがて宗教的な意味合いを持つようになり、そこから舞や歌を通じて神々への感謝や願いを表現する形式に発展していきます。

身体を通じてのパフォーマンスであることや

儀式的な意味合いを持つことも共通点ということに

私は納得したところです。

散楽と田楽の違いとしては、散楽が貴族文化の中で育まれたのに対し、

田楽は民間信仰や農村社会の中で発展してきた点です。

散楽は宮廷や貴族の娯楽としての性格が強く、

より多様な芸能要素を含んでいたのに対して、

田楽は地域社会や宗教的な儀式と密接に関わり、

特定の社会的・宗教的文脈の中で演じられることが多かったようです。

このように、散楽と田楽は、共に日本の伝統芸能として捉えられていますが、

それらの起源や発展の様子、そして社会的・文化的な役割については

個々に違いがあることがわかります。

特に、同じように音楽や舞を好みながらも、身分層に応じて表現が違うことも興味深いです。

過去の人たちの生活や思いを窺い知ることができるのが伝統芸能の魅力でもあります。

散楽を発端に、猿楽や田楽などもその特徴を知ることができました。

私は、伝統芸能への興味がさらに湧いてきました。

どうも、能、狂言、歌舞伎などは敷居を高く感じるのですが、

これからは、また違った目でそれらを見たいと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。

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