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平安時代の貴族の暮らし、屋敷、階級、遊びなど1日をどう過ごしていたの?

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平安時代の貴族たちの生活はどのようなものだったのでしょう?

階級によって、その暮らしは違ったのでしょうか?

彼らの居住する屋敷、社会的地位、日常、そして遊びについて探ります。

平安時代の貴族の暮らし、どんな屋敷に住んでいた?

平安貴族たちは天皇の住まいからそれほど遠くない地域に

自らの屋敷を構えていました。

平安時代の貴族は、

中国の影響を受けた寝殿造りの屋敷で

優雅な暮らしを送っていたのです。

寝殿は床が高く、室内に壁はなく、

障子や屏風で自由に間仕切りができるようになっていました。

この開放的な空間設計は、

四季の変化や庭園の美しい景色を屋内から

存分に楽しむことができます。

また、障子や屏風には絵や詩が描かれており、

貴族の文化的な教養や趣味を表していました。

屋敷に住んでいたのは、

寝殿の主人やその家族だけではありません。

多くの家来や女房たちも同じ屋根の下で暮らしていました。

女房たちは、

主人の身辺の世話や屋敷の管理を行うだけでなく、

文芸や音楽などの文化活動にも参加していました。

養うということは、

それなりの財力も必要ですよね。

階級が上の貴族はきっと多くの家来を

めし抱えていたと思うのですが、

そうでない貴族は、少ない奉公人で

家のことも済ませていたではないかと思います。

屋敷の中心となる寝殿は、

政治的な会談や文化的な交流の場としても使われ、

他の貴族や宮中からの使者を迎える場所でもありました。

また、寝殿を中心に、

書院や蔵などの別棟が敷地内に配置されており、

庭園は池や橋、石灯籠などで飾られ、

自然を模した造園が特徴であったようです。

季節ごとに咲く花や緑の植物が庭園を彩っていました。

貴族はこの庭園で散歩したり、詩を詠んだり、

自然と一体となるような心豊かな時間を過ごしていたのでしょうね〜。

とても羨ましい、設計ですね〜。

和歌の題材に、四季折々の風物を読み込めたのも

この屋敷の作りならではなのだなあと思いました。

もしも、私が平安時代の貴族に生まれ変わったとしたら、

こんな屋敷に住んでみたいものです。

1つ気になるのは、

虫とかが家の中に入ってきたら嫌だなあということ。

それも風流、とすませたのでしょうかね。

平安時代の貴族の階級、役職は?

平安時代の貴族は、天皇を頂点とする階級制度の中で、

権力と名誉を元に様々な役職に就いていました。

役職は、政治や宮廷の運営に関わるものや、

文化や儀式に関わるものなど、多岐にわたります。

役職によって、貴族の地位や権力、

年間の俸禄や賜物といった収入が決まります。

高位の貴族でなければ、紫衣の着用が許されず、

大内裏への自由な出入りも出来なかったのです。

つまり、役職が高いほど、貴族の暮らしは豊かで華やかなものでした。

そうなると、権力を誰が手にするかというのは、

貴族にとって重大なことなんだなあと納得できます。

では、どんな階級に分かれていたのか、、気になりますね。

平安時代の貴族の階級は、

細かく階層分けされた官位制度が設けられていました。

一般的に大きく分けると三つありました。

最上位の階級は摂関家。

摂関家は、天皇の親族や側近として、

摂政や関白という最高の役職に就くことができます。

摂関家は、天皇と同じくらしをすることが許されており、

屋敷も広く豪華でした。

摂関家の中でも、藤原氏は最も権勢を誇り、

平安時代のほとんどの期間において、

天皇の外戚として政治を牛耳っていました。

次に高い階級は公卿と呼ばれる貴族。

公卿は、五位以上の位階を持つ貴族であり、

これには三位以上の位階を持つ者も含まれます。

公卿は、内大臣や左大臣などの重要な役職に就くことができました。

公卿は、摂関家に次ぐ地位と権力を持ち、屋敷も豪華で立派。

公卿の中には、摂関家と結婚することでさらに地位を上げる者もおりました。

最も多かった階級は下級貴族と呼ばれる貴族。

官位制度に基づいて六位以下の位階を持つ貴族が下級貴族に分類され、

さまざまな低位の官職に就いていました。

下級貴族は、摂関家や公卿に比べて地位や権力が低く、

収入も少なかったため、暮らしも質素。

下級貴族の中には、より安定した生活や新たな地位を求めて

僧侶や武士などに転身する者もいたようです。

大きく3つの階級がありますが、

それぞれ、すごく違いがあるのだなあと驚きました。

生まれながらに決められた家柄と血縁によって

どういう暮らしになるかが決まっちゃうのですね。

特に、藤原氏が天皇の外戚として

長期にわたり政治の中心であり続けたことは、

「絶対に手放すものか!」

という強い思いや、一族の権力の維持の巧みさを痛感しますね。

平安時代の貴族の1日は?

平安時代の貴族は、階級や役職によって異なる暮らしを送っていました。

そんな日常生活には共通するルーティンがあります。

夜明けとともに起床、起床後最初の行動は、その日の運勢を占うこと。

陰陽師による占いは、その日の行動や決定を左右する重要な要素であり、

占いが良ければ積極的に外出や公務を行い、

悪い日であれば仕事を休み外出をせず自宅で過ごすことになります。

今でも、占いは人気で、私も毎日その日の運勢をチェックしているので、

平安貴族になんか親近感を覚えてしまいます!

食事に関して、当時は1日に2食が基本であった為、

現代で言う朝食は積極的に摂っていなかったようです。

身なりを整え、いざ仕事場へ向かいます。

最高位の貴族は、朝の公務や儀式に参加するため、

朝早くから大内裏へ向かい、

中下位の貴族は自身の役職に応じて朝

廷での勤務や主君の命令に従事します。

貴族は、正午過ぎまで、公務や儀式や書記や通訳に忙しくしていました。

朝早くからお昼ごろまでが仕事の時間だったのですね。

すごく効率的な時間の使い方だなと思います。

私も午後はのんびりしたいものです。

さて、貴族は仕事を終えた後は、1度目の食事を取ります。

その後は余暇を楽しんでいました。

絵画などの芸術活動に没頭したり、

庭園での散策や小規模な宴会を開いたりということ。

政治や公務から離れ、個人的な趣味や教養を深めていたのです。

重ね重ね、理想的な時間の使い方だなあって思います。

日が暮れる前には、沐浴の時間。

沐浴は現代とは異なり、蒸気で体を温め、

汗をかいて体を清めるという蒸し風呂です。

また、毎日沐浴する習慣は一般的ではなく、

特に重要な行事の前や、特定の季節に合わせて行うことが多かったようです。

沐浴後は、夕食の準備や家族との団欒の時間。

夕食後は、家族や友人と語り合い、

詩歌を詠んだり、物語を語り合ったりすることもあったようです。

このような文化活動は、貴族たちの教養を高め、

彼らの生活の一部として重要な役割を果たしていました。

平安時代の貴族の生活は、一概にすべての貴族が

同じような生活を送っていたわけではありません。

階級や役職による違いはあれど、

占いに基づく日々の行動、文化活動への熱心な参加、

そして季節や行事に合わせた沐浴の習慣など、

現代とは異なるルーティンが存在していたようです。

あれもこれも、という現代に比べると

優雅でシンプルな暮らし方をしていたのだなあと思いました。

平安時代の貴族の遊びは?

平安時代の貴族は、仕事や儀式だけでなく、

遊びも大切にしていました。

遊びは、貴族の暮らしに彩りを添えるだけでなく、

教養や技能を高めるためにも必要であったのです。

貴族の遊びには、武芸や知的なゲーム、

詩歌や音楽など、種類はさまざまありました。

武芸は、貴族の男性にとって重要な遊びとなり、

馬術や、蹴鞠などの武芸は、貴族の身分や品格を示すものでした。

武芸は、実戦に備えるためだけでなく、

見栄えや美しさを競うためにも行われ、

達人ともなれば、多くの人から尊敬や羨望を集めました。

馬を華麗に乗りこなす男性は、きっとモテたんでしょうね。

知的なゲームは、貴族の男女にとって楽しい遊びでした。

将棋や囲碁、すごろくなどのゲームは、貴族の知恵や戦略を試すものです。

友人や恋人との交流や親睦を深めるためにも行われていたそうです。

ゲームに興じるのは、現代人も同じです。

人間の興味は、時代が変わっても似ているのだなと思いました。

詩歌や音楽も、貴族の男女にとっては遊びの一種だったようです。

詩歌や音楽は、貴族の感性や情緒を表現するもので、

和歌や漢詩を作って披露する歌合(うたあわせ)、

琵琶や笛などの楽器を演奏する雅楽(ががく)などがありました。

これら、平安時代の貴族たちの遊びは

とても多彩だったことにも驚きます。

それだけ、生活にゆとりがあったということなのでしょうが、

時代が変わっても、

人にとって遊びは人生を充実させる重要な要素であることを

しみじみと感じました。

私は貴族ではありませんが、

生活を楽しむ心のゆとりを持って日々を暮らしたいと思います。

私と、平安貴族の間には何の関わりもないのですが、

人としての興味のあり方には共通するものがあり

とてもおもしろく思いました。

読んでくださり、ありがとうございます。

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